今井の歴史

今井の歴史

今井の起こり

今井の始まりは、芝居茶屋「稲竹」
稲竹

1838年(天保9年)、初代・今井佐兵衛の一人娘「たけ」が、稲野屋徳兵衛の援助により道頓堀の中座向かいで芝居茶屋「稲竹」を創業。
3代目、4代目へと引き継がれる。

1815年

1815年(文化12)頃、初代:今井 左兵衛が奈良の今井町より道頓堀へ移り住んだとされる。
過去帳より、一人娘のたけが確認された。

1822年

9月25日、今井の初代、今井佐兵衛死去。
※大坂など西国でコレラが大流行。

1838年

二代目・たけが、芝居茶屋「稲竹」創業。

楽器店としての今井

楽器店への転身
1869年

今井3代目、今井佐兵衛が芝居茶屋「稲竹」を継ぐ。

1870年

今井4代目、今井三之助が誕生。
この年、明治新政府は千日前の刑場を廃止し、隣接の墓地も阿倍野に移して跡地を無償で払い下げた。

1877年

信太ずし(いなりずし)の薄揚げをうどんに入れる「きつねうどん」が考案される。甘辛く煮た油揚げ入りのきつねうどんは1894年(明治27)の日清戦争以降に登場した。

今井楽器店

今井の4代目、今井三之助が、芝居茶屋「稲竹」の営業権を同店の女番頭だった野村照に譲り、
5代目・今井寛三の発案で西洋楽器を販売する「今井楽器店」を創業。
創業当時はおもちゃ屋も併設してのスタートだったが、西洋楽器を売る店としては全国でも3本の指に入り、道頓堀ジャズの大流行ともあいまって順調に売れ行きを伸ばした。

御蕎麦処 今井

「御蕎麦処 今井」の誕生
御蕎麦処 今井

大阪大空襲により焼け出され、疎開先での生活を経て、道頓堀に戻ってきた5代目・今井寛三一家は、食べ物を売ることで自らも食いつなげるようにした。
考えて始めた商売ではなく、そうせざるを得ない状況であった。

1946年

今井寛三一家の道頓堀での生活がスタート。
食べ物屋として再出発し、夏は寒天・氷水を売り、 秋からはぜんざい・焼き栗などを販売した。
一方で、めん類も内緒で販売。すると客が付き、寛三の妻・マチ子は「これだ」と感じた。
これを転機に「おそばとうどんの店」、後の「御蕎麦処今井」がスタートした。

1947年

先代の三之助まで続いた芝居茶屋「稲竹」を継いだ「稲照」が、千日前筋西の路地に移転復帰。

今井のお出し完成

1949年

5代目寛三の妻:今井マチ子が、
今井の出汁を完成させる。
数年間にわたり、とことん探し求めた味は、
今でも今井の根幹を支えている。


お出し お出し

昭和・平成・令和

御蕎麦処今井から「道頓堀今井」へ
1956年

屋号はそれまでと変わらず「御蕎麦処 今井」とし、
その経営母体を「株式会社今井」として法人化。

1957年

6代目・清三が社長に就任。入社からわずか2年での就任であった。
「うどん、そばにも季節感がないとあかん」を持論とし、「季節そば・点心」をメニューに追加。

1995年

7代目・徹が社長に就任。
2002年に起きた火災に巻き込まれ本店が類焼するも、新規店舗やテイクアウト商品を展開し、現在に至る。

6代目・清三

6代目・今井清三
「味はもちろん、季節にこだわり、和の姿と形にこだわって、それらを自らのめん類店に取り込む」
味・季節感・和の心・器へのこだわりは今に受け継がれている。

今井のこれから

道頓堀までなかなか足を運べない
お客様にもお届けしたい

しなやかにそして誠実に時代を生き抜いてきた今井。
道頓堀今井は日本全国、世界各国どこででもお店の味を
そのままにお楽しみ頂ける日が来ることを信じてこれからも精進して参ります。

きつねうどん きつねうどん